知識をinputしてすぐはいいのですが、
なんだかんだ日々忙しくなると、いつの間にか、頭に入れたことがキレイさっぱり抜けてしまうんですよね…。
で、イライラしたりカッカしたり、無意識的に過ごしてしまう。
それか、中途半端にinputや理解したりして、「何でもかんでも感謝!!」みたいになってしまう。
(※「何でもかんでも感謝!!」の弊害はまた別途書きたい。嫌いなものが押し寄せてきて大変でした笑 まあ、嫌いなものを無理やり好きだと設定したんだからそれはそうなるよな)
というわけで、本当に習慣化したら面白そうだな、と思うものを、「シリーズ自分づくり”釈迦の瞑想法”」から控えておきます。
瞑想の目的
1.運命がどんどん好転する
●慈悲喜捨の瞑想法
IV.”善の波動”を持てばもう恐いものなし より
p.145
(お釈迦さまは)
「慈悲喜捨の心さえあれば、あなたは神、あるいは神以上の存在です」
とも言われていますから、まあ、とてつもなく素晴らしい世界に行けるというふうに解釈してください。
とにかくこの瞑想を実践すれば、素晴らしい精神的な力がつきます。
一週間でも真剣に実践してみれば、それだけで自分がいろいろな幸福な方向へと変化していることがよくわかってきます。
これが幸福になるもっとも確実で、もっとも近い道なのです。
瞑想の必要性
1.運命がどんどん好転する
●慈悲喜捨の瞑想法
V.『慈悲喜捨』の瞑想であなたは強運人間 より
p.148
日常生活のなかでは、なかなか心は成長してくれないものです。
そこで、慈悲喜捨の心を育てる目的で体系化された”慈悲喜捨の瞑想法”が必要になってくるわけです。
瞑想の効果
1.運命がどんどん好転する
●慈悲喜捨の瞑想法
IV.”善の波動”を持てばもう恐いものなし より
p.123
メッターかカルナ―かムディタ―になるのですが、この三つはそれぞれ個別にやってもいいし、ぜんぶいっしょにやってもいいし、またいくつか組み合わせてやっても構いませんが、要は一切の生命に対して限りなくこの感情が現れるまでやりましょうというところが大切なポイントとなります。
いついかなるときにもこういう感情を持ってすべてに対していけるとき、人間は人間という存在を越えることができるのです。
現代人が奇蹟と呼んでいる現象を、いくつも起こすことが可能となってくるのです。
瞑想のポイント
1.運命がどんどん好転する
●慈悲喜捨の瞑想法
III.運命が好転するエネルギーを持ちなさい より
喜ぶ心があなたを幸せにする
p.100
”ムディタ―”という言葉で表しますが、共に喜ぶという感情を持つことです。
人の幸福、成功、幸運を見てそれを共に喜ぶのです。
これは結構簡単でしょう。ただいっしょになって喜んでしまえばいいのですから。
p.104
(高慢ではない喜びを実践できたなら)
そこでお釈迦さまは言われるのです。
「そうであるならば、その正しい喜びをどんどん広げていってください」
広げるために瞑想を実践するのです。
この場合の瞑想はヴィパッサナー瞑想とはちょっと意味合いが違って、
これはコンテンプレイション(Contemplation)と言って、念ずる瞑想です。
p.113
自分の心の中に何を育てていったらいいのか、世の中のどんなものを見ても、何を経験しても、そこから自分の見方、考え方を変える何かが発見できるのです。
それは常に、いいこと、喜びの心で見ること、楽しく考えることができるというための訓練なのです。
1.運命がどんどん好転する
●慈悲喜捨の瞑想法
IV.”善の波動”を持てばもう恐いものなし より
平安な心があれば何も恐くない
p.125
「ありがたい、ありがたい」
「ああ、楽しい、楽しい」
とおもって生きていてそれでいいのだろうか?
それはそれで構わないし、別に悪いことではないのですが、
人間はそうなるとさらに進みたい、もっと幸福になりたいとおもうのが常です。
そういう時に育てなければならない感情がさらにあるのです。
それは”ウペッカー”といって、日本語に訳せば平安な心、平等な心という意味になります。
p.126
(メッタ-、カルナ―、ムディタ―などで発生する)
この、心が波立つという感情も消してしまわなければ、
ほんとうの心というものはつくれないという次元の話です。
p.127
この微かな”心の波”も消しましょうというのです。
心の波という負荷を消すことが即ち、平等な心を育てること、平安な心を育てることになるのです。
p.132
(どんなことがあっても)
「そんなこともあるでしょう」
と澄ましていればいいのです。
瞑想は科学的なアプローチ
2.意のままに生きられる
●ヴィパッサナー瞑想法
I.信じる前に疑うべきである より
p.8
仏教のもっとも顕著な特色を挙げるとすれば、
「お釈迦さまの教えというのは、実践すれば即座に効果が得られるのだ」
という点でしょう。
p.8
仏教は大変科学的です。
科学とは、きちんと結果がでてくるということ、つまり我々が自分で、話の内容が本当か嘘か確かめられるということです。
p.11
仏教にも超自然的な超越した智慧は確かにあります。
宗教に頼る人間は自分を見失う
p.16
正しく瞑想をするときちんと結果が得られます。
p.27
我々人間は、このような自然界の弱肉強食のシステムに従う生き方でいいのかどうか、真剣に考えてみる必要があります。
瞑想の実践は、自然のシステムとは違う超次元的なシステムの中で生きようとする立場です。
瞑想と脳の関係
2.意のままに生きられる
●ヴィパッサナー瞑想法
II.頭を使う人ほど苦しみを背負い込む より
脳細胞への刺激法の大間違い
p.46
ずっと自然は子孫ばかりつくらせてきた。生物はそれだけを目的に生きてきた。
その自然のシステムを乗り越えようというのが仏教の教えです。
ですから我々は、違う目的をつくらないといけない。
その違う目的は何かというと、まずこの自然のシステムを理解することです。
自然というシステムを理解して、その存在を越えることを目的にしましょうというのです。
p.47
自然のシステムを越えようというような高い目的がある人は、その目的を達成するのは大変だから、ずっとがんばって元気で生きていられます。
瞑想は、そういう目的でするのです。
この瞑想では、私たちの脳細胞を全体的、総合的に使います。
ふつう一般の人は、自分の脳細胞のほとんどを使ってないのですが、この瞑想では、これまで使ったことがないようなありとあらゆる脳細胞までを十分に使います。
脳の中で、いろいろな新しい神経回路を作ります。
p.48
人間というのは、脳が元気で脳細胞が生き生きしていると、身体全体もものすごく元気なのです。
この瞑想をすれば、脳細胞をかなり使って、脳を刺激します。
すると元気になって、より高いレベルを目指してチャレンジすることができます。
正しいと思ったことが実は間違っている
p.64
瞑想で自己を観察すると同時に、判断をしないように観察するのです。